WEBマーケティングとか優しさとか 木村圭宏 

人生に意味などない 意味付けは自分自身で

石垣職人の話 人物金から手段と目的など

石垣職人の話
遅れに遅れていた都のお城の築城に石垣の石工の遅れが原因だった。視察に伺った城主のお殿様は全国から集められたであろう。
仕事に従事する石垣職人たちに質問して行った。
お殿様「お前は今何をしているのだ?」

石垣職人A「私は今石垣を積んでいるところです。」ほとんどの職人はそう答えたと言う。
石垣職人X「私は今お城を建てる為の石垣を積んでいます。」

城主であるお殿様は石垣職人Xを棟梁として職人を纏める役に抜擢したいう。
数ヶ月後遅れていた築城は工期通り完成したと言う話である。

この事は今している仕事が最終目的としてどのよう形として完遂するのかを意識するとしないとでは
おのずと成果に差がでるという 例え話である。
このことは製造業や非製造業からサービス業の世界でもTQC(トータルクオリティコントロール)として活用されている

 人物金から手段と目的などをどのように意識し接していくかという重要なファクターが語られている。
Apple社のジョブズがCコーラ社のスカリー氏を社長に据える為に口説いた言葉が「君はこれからの人生を砂糖水を売るために費やすのか?」は有名な話であるが、ジョブズ氏はApple社が今後進めるであろうIT文化の構築について熱く語った事は言うまでもない。
 この頃、リーマン時代の私はライセンスブランドを扱う専門商社でブランドバックを担当だった私も 「俺は牛の皮を編んだ袋をこれから一生売るのか」という同じ疑問を思ったものだ 流通業からITや通信事業に関心が移って行った 至極単純だったねW

 手段として用いるのは、道具(物)であり資本(金)ある。目的にあるのは人の夢であり幸福の形である。時に手段として道具のように人を扱うことある。分かりやすく言えば、サギ集団やサギ的行為の目的は金であるので人を手段として扱うのである。
 21世紀の資本論の中でピケティ氏は、長期的で比較可能なデータに基づき、格差を生む社会構造と人という存在(労働市場)が持続不可能な格差を生み出している現実を指摘している。

 次回は問題解決のプライオリティーとかSDGsの先にあるものとかについて