WEBマーケティングとか優しさとか 木村圭宏 

人生に意味などない 意味付けは自分自身で

両親のルーツから未来を辿る。

 

両親のルーツから未来を辿る。


君子の生い立ちとか家庭環境
君子とは私の母の名前である。君子の母は明治生まれで四国の土佐藩にあった豪商の娘であり、廃藩置県後に没落した様だが、詳しくは知らない。
 祖母は、山本氏との婚姻で生まれたのが、母君子と叔父にあたる利昭氏である。この頃には和歌山紀南地方上富田町に移住していた。母の生まれは大正時代で利昭氏は昭和生まれと思われる。山本氏と死別後に西森氏と婚姻している。母から見た、次男重清氏が生まれる。重清氏の息子が著名な漫画家「西森博之」氏その人となる。
 君子は父となる木村五作と結婚し3女4男を授かる。私自身は6人目に生まれた子である。
叔父にあたる利昭氏の記憶 優しい眼差し美男子と思わせる顔立ちは幼い私にも少し印象に残っている。
 ばあちゃん子だった私は上富田朝来に住んでいたばあちゃんに家で数ヶ月預けられていた。その頃両親が経営していた衣料品店は大盛況ですぐ上の兄 彰伸と6歳以上離れていることなどで面倒をばあちゃんに見てもらったようだ。
 母方の親戚には直哉氏のような音楽家もおり、芸術面に優れた遺伝子を持つ傾向が伺われる。
 安寿と厨子王丸
君子は利昭をすごく可愛がっていたようである。利昭は幼い頃 困窮する家庭事情から里子に出されようとしたことがあって君子は猛烈に抵抗したようで、一時離れ離れになったことから「安寿と厨子王」の物語を読んでは自身を投影し泣いていたようだ。
 
父 五作の話
父については多くを知らない。和歌山 市ノ瀬の百姓の五番目に生まれた子供 兄弟には発明家もいたようだが、経済的に比較的に豊かだったのは恐らく父だけだった。戦後、高度成長期は皆が困窮することなく昭和後半のバブル期を謳歌した時代だった。
 大正生まれの父は、君子と結婚後 満洲国の鉄道員として働き戦後を迎えた。露軍の侵攻に伴い帰国
 露軍の殺戮、陵辱、略奪の酷さを目の当たりにしている。既知のウクライナが抵抗する理由がこれにあたる。両親が長女を亡くしながらも無事に帰国できたのは良心ある満洲国の人民の助けがあったことも加えて記しておく。
 父はどういう傾向か信仰心が熱かった。理由は知らない弘法大師の格言みたいな色紙が数枚あった。
 墓相学の書物が数冊、健康食品や電磁健康機、株など様々な事に興味があったようだが、経済の成功は母が運営した衣料品店の成功だった。
 父の信仰心の影響下で「般若心経」をお経暗記させられたが、明治生まれの婆ちゃんが「仏ほっとけ神構うな」と言った言葉に傾倒する私自身のその後の経験から、その時に感じた気持ちは今も変わらない。
 

結論:親ガチャにおいては経済的に成功した両親から生まれた事では、大当たりを引いたと両親には感謝してる。結局何も返せないまま終わりましたが、、、